戦前の日本で、食パンは今のように「主食」ではなかったが、「米の代用品」という地位を確立していた。言うなれば、「準・主食」だったのである。というわけで、当然これまで申し上げてきた「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」というルールもしっかり適用される。
例えば、満州事変が起きる1年前の1930年7月、「お次はパン値下げ 米の代用品が餘りに高いと警視庁が動き出す」(読売新聞 1930年7月17日)という記事が分かりやすい。
『小市民にとつては米の代用食とも謂ふべきパンの値段が他の日用品と較べて篦棒に高いことを発見し、今度はパンの値下げを行はしむべく之が具体策に付き慎重研究を進めてゐる』
当時、警視庁が原料などから割り出した適正な価格は「一斤八銭」。これで売っても「十分利益はある」とパン屋に値下げを強く要求したわけだが、記事中に登場する「某パン店」は「私のところでも一斤十八銭のを一斤十四銭に下げました。しかし八銭はヒド過ぎますなァ」とため息をついている。


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