平成時代の幕開けの1989年1月8日を私はイギリスの首都ロンドンで迎えた。産経新聞ロンドン支局長だったのだが、それまでの数カ月、天皇と戦争という重い課題を深刻に考えさせられた。
イギリスでは昭和天皇のご病状の悪化が伝えられると、第二次大戦中に日本軍の捕虜となった元将兵たちから糾弾の声がどっとわき上がった。全英で約2万と目された元捕虜は戦争の責任、とくに捕虜虐待の責任は最終的には天皇にあるとして最後の機会での謝罪を迫ったのだ。
その非難は「邪悪」とか「残虐」とか、いま文字にするのがためらわれるほど、激烈だった。大部数の大衆新聞がその非難をあおった。
では当の日本側はこの天皇糾弾にどう応じるのか。イギリスの主要テレビに意見を求められた。その時点で日本側の官民からはなんの反論もなかった。だから一記者としてでも答える必要を感じた。天皇には戦争犯罪への直接の責任はない統治メカニズムや、戦犯は多数がすでに処刑された事実を述べた。
すると他のイギリスのメディアからも次々と取材の申し込みがきた。おこがましいが、この問題でテレビ、ラジオ、討論会など通算30回ほども日本側の見解を述べる結果となった。イギリス側にも少なくとも日本側の声を聞こうとする公正さはあったわけだ。
だが私は日本の戦争の負が戦後40年余を経てもこれほど激しく残っていたことに衝撃を受けた。その後すぐに次の勤務地となった米国でも平成3年の1991年12月、日本軍の真珠湾攻撃50周年の記念式典に集まった元米軍将兵たちからは「日本軍のスニークアタック(だまし討ち)」への憎しみの声がまだ聞かれた。
だから平成時代も前半は日本側からみてすでに清算が済んだようにみえた対外的な戦争の負がなお残っていたといえよう。
その流れが平成の日本の国のあり方にも微妙に影響し続けたようだ。上皇さまが戦争の負を慰霊や鎮魂、反省や回顧、そして謝罪まで含めての多様な形で癒(い)やそうとされたことも、その歴史の重みに起因したと思う。
その一方、平成の長い歳月が過ぎて、令和の新時代の出発点に立って世界を眺めれば、日本の戦争への態度も、皇室への反応も、私がロンドンで体験した状況とはまったくの様変わりにみえる。
私がこの認識を強めたのは米国でのその後の体験のためでもあった。日本軍と実際に激しく戦った人ほど、戦争での善悪や正邪を断じず、国同士の利害衝突による正面からの堂々たる戦いに結果として米国が勝ったのだという客観的評価を示すのだった。
自身が乗機を日本軍に撃墜された先代のジョージ・ブッシュ大統領は「私は日本になんの恨みもなく、たがいに罪をなすり合う時代は過ぎた」と何度も語っていた。山本五十六提督機を撃墜した編隊長のトーマス・ランフィア元大尉は「彼も私たちと同様に国や国民を守るために敢然と戦った立派な軍人だった」と回想した。要するにあの戦争は完全に過去となり、現在の日本は米国の貴重な同盟国だという認識でもあった。
もちろん日本にとってあの戦争の記憶は消せるはずがない。だが令和の新時代は戦争での国際的な怨讐(えんしゅう)には完全な区切りをつけ、過去の戦争のために現在の日本を劣等な国であるかのようにみなす断罪は内でも外でももう排されることを期待したい。


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